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アンタッチャブルはなぜ『列車駅の階段』で完結するのか?【ネタバレ考察】

7.754 /10
  • 🎬 監督: ブライアン・デ・パルマ
  • 👥 出演: ケビン・コスナー, ショーン・コネリー, ロバート・デ・ニーロ, チャールズ・マーティン・スミス, アンディ・ガルシア
  • 📅 公開日: 1987-10-03

📖 あらすじ

1930年、禁酒法下のシカゴ。財務省から派遣された特別捜査官エリオット・ネスは街を牛耳るギャングのボス、アル・カポネに敢然と戦いを挑む。ベテラン警官のマローンを始め、射撃の名手ストーン、税理士のウォレスといったメンバーに支えられ、ネスの捜査が始まる。しかし巨悪カポネの差し向けた殺し屋によって、ひとり、またひとりと犠牲者が……。かつてテレビドラマでも人気を博したアクション・ロマンを映画化。ケビン・コスナーはこの作品で一躍トップスターに。そしてデ・ニーロがまたも肉体改造に挑戦。

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#胸糞#爽快#切ない#緊張#カタルシス#じわる

📌 この記事でわかること

  • 『アンタッチャブル』は、正義の執行が暴力の連鎖を生むことを、駅の階段での乳母車と銃撃戦の場面で鮮烈に描き、法の支配と復讐の境界を問う映画である。
  • ネスがフランクを屋上から突き落とす私刑は、正義の執行が暴力の連鎖を生む逆説を体現する
  • 駅の階段シーンで乳母車が転がる中、マローンがそれを支える行為は無垢な命の危険を象徴
  • ネスはマローンの死をきっかけに、彼を殺したフランクを私刑で殺害する
  • カポネは脱税で有罪になる皮肉が、法の限界を示す
  • デ・パルマの様式化された暴力(特に駅の階段シーンの長回し)が倫理的問いを投げかける

⚠️ 事前確認:地雷チェック

🫣 気まずさ
気まずさ:小(性的描写はなく、大人の恋愛要素もほぼなし)
🩸 グロ耐性
グロ耐性:Level 2(暴力描写あり、銃撃戦や殺害シーンがあるが、過度なグロテスク表現は控えめ)
☁️ 後味
後味:やや重い(正義の代償として仲間の死があるが、カポネ追及の達成感もあり)
😈編集部より:「禁酒法時代のギャング抗争を描いたクライムアクション。暴力描写や銃撃戦が含まれますが、グロテスクな表現は控えめです。性的描写はほとんどありません。結末の詳細は作品をご覧になってのお楽しみです。。」

デ・パルマが甦らせた“オデッサの階段”の衝撃

アンタッチャブルはなぜ『列車駅の階段』で完結するのか?【ネタバレ考察】 場面写真1
© TMDb / アンタッチャブルはなぜ『列車駅の階段』で完結するのか?【ネタバレ考察】
駅の階段を乳母車が転がり落ちる。マローンがその乳母車を支え、ネスがカポネの殺し屋フランクを屋上から突き落とす。この二つの場面が、正義の執行が暴力の連鎖を生む逆説を体現している。本記事では、ネスが私刑に走る瞬間とマローンの最期の行動を具体的に比較し、法の支配と復讐の境界線を読み解く。禁酒法下のシカゴで、ネスはカポネに立ち向かうが、仲間が次々と命を落とす。ケビン・コスナーとロバート・デ・ニーロの名演にも注目だ。

ショーン・コネリーの死が映す禁酒法の虚妄

アンタッチャブルはなぜ『列車駅の階段』で完結するのか?【ネタバレ考察】 場面写真2
© TMDb / アンタッチャブルはなぜ『列車駅の階段』で完結するのか?【ネタバレ考察】
⚠️ ネタバレ注意:衝撃の結末と考察

💀 まず結末だけ言うと

エリオット・ネスは仲間の犠牲を経て、アル・カポネを脱税で有罪に追い込む。最後のシーンでは、ネスがシカゴ市警を去り、記者から禁酒法廃止後の予定を聞かれて「一杯やるよ」と答える。彼は正義を貫いたが、代償として家族と離れ、仲間を失い、孤独な勝利を手にした。

🧐 なぜこの結末なのか?(深読み考察)

⚡ 解釈1:暴力の連鎖が生む正義のジレンマ

駅の階段での銃撃戦の場面は、正義の執行が無垢な者を危険にさらすことを象徴する。ネスたちがカポネの会計士を護送する際、乳母車が階段を転がり落ちる中で銃弾が飛び交い、マローンが乳母車を支える。このシーンは、暴力の波及効果を視覚的に示し、ネスの正義が周囲を巻き込む危険性を暗示する。結末でネスが孤独になるのは、この暴力の連鎖から逃れられなかった代償とも読める。

⚡ 解釈2:マローンの死がネスを変えた

マローンの死は、ネスが暴力の連鎖から逃れられないことを示す。マローンはカポネの殺し屋に自宅で襲われ、瀕死の重傷を負い、ネスに「やり方を変えろ」と遺言する。しかしネスはその後、カポネの部下を私刑で殺害する。マローンの死がネスを暴力の道へと駆り立てた結果、彼は法の枠を超えた行動を取る。結末でネスが法廷に戻るのは、暴力から法の支配へと戻る決断であり、マローンの遺言を最終的に受け入れたとも解釈できる。

⚡ 見方が分かれるポイント

ネスがカポネの部下を橋から突き落とした行為は、正義のためのやむを得ない行動か、それとも私的な復讐か。映画はこの点を明確にせず、観客の判断に委ねている。

結論:『アンタッチャブル』は、正義の執行が暴力の連鎖を生むことを、駅の階段での乳母車と銃撃戦の場面で鮮烈に描き、法の支配と復讐の境界を問う映画である。結末のネスの孤独な姿は、どんな正義も完全には報われず、暴力の連鎖から逃れることが難しいことを教えてくれる。じゃあ結局どう観る? 俺は、あのラストのネスの表情に、全てを出し切った男の清々しさと哀しさが同居しているのがたまらないと思う。

🧩 伏線と象徴

  • 駅の階段での銃撃戦:この場面は、正義の執行が無垢な者を危険にさらすことを象徴する。乳母車は無垢な命のメタファーであり、マローンがそれを支える行為は、暴力の連鎖を食い止めようとする最後の善意の表れ。
  • マローンの死:マローンの死は、ネスが暴力の連鎖から逃れられないことを示す。彼の遺言は、ネスに法の枠を超えた手段を取ることを暗に許す。実際、ネスはその後フランクを私刑で殺害する。
  • ネスによるフランクの殺害:この場面は、ネスが法の枠を超えて自ら正義を執行する決断をした瞬間。彼は「彼は法廷では無罪になる」と正当化するが、これは明らかに違法行為。ここでネスは、正義の名の下に悪と同質の暴力を振るう。

🎭 批評視点の対立軸:この作品をどう読むか

視点対立1: 暴力描写とスタイルの過剰性

視点A: ロジャー・イーバート的に
暴力の美化・過剰な演出への批判
→ イーバートは、デ・パルマのスタイライズされた暴力がリアリティを損ない、倫理的無責任だと批判した。
視点B: ポーリン・ケイル的に
暴力の様式化を肯定的に評価
→ ケイルは、デ・パルマのオペラ的な暴力が映画芸術の一部であり、観客にカタルシスをもたらすと擁護した。
💭 現況: 現在もデ・パルマの暴力描写は評価が分かれやすいだが、本作は主流派に受け入れられた

視点対立2: 歴史的正確性とフィクションの自由

視点A: 歴史家・批評家の一部的に
歴史的事実の歪曲を批判
→ 実際のエリオット・ネスはカポネ逮捕に直接関与しておらず、マローンやストーンは架空の人物である点を問題視。
視点B: ポーリン・ケイル / ロジャー・イーバート的に
映画は史実に忠実である必要はない
→ 映画は神話化された善悪の物語として評価すべきであり、歴史的正確性は二次的だと主張。
💭 現況: 一般的にはフィクションとして受け入れられているが、一部の歴史愛好家から批判が続く

視点対立3: 引用(オマージュ)の独創性 vs 盗用

視点A: 一部の批評家的に
『戦艦ポチョムキン』の階段シーンを単なる模倣と批判
→ デ・パルマの引用は独創性がなく、エイゼンシュテインの名場面の劣化コピーに過ぎない。
視点B: ポーリン・ケイル / 映画学者的に
引用を創造的な再解釈として評価
→ デ・パルマは古典的モチーフを現代の文脈に再配置し、独自の緊張感と映像美を生み出している。
💭 現況: 引用の評価は分かれるが、映画史における重要な参照点として認知されている

🗝️ 劇中アイテムと象徴

  • 🔹 乳母車
    無垢な命の象徴であり、暴力の波及効果を視覚化する装置。階段を転がり落ちる乳母車は、正義の執行が無関係な市民を巻き込む危険性を、観客に突きつける。マローンがそれを支える行為は、暴力の連鎖を食い止めようとする最後の善意の表れ。
  • 🔹 マローンの「やり方を変えろ」
    単なるアドバイスではなく、ネスに暴力の連鎖から抜け出す道を示唆する。しかしネスはこの言葉を、より過激な私刑へと進む免罪符として受け取る。アイテムというより台詞だが、物語の分岐点として機能。
  • 🔹 カポネのバット
    カポネの暴力性と権力を象徴。彼が会合でバットで人の頭を叩き潰すシーンは、彼が法の上にいる存在であることを示す。同時に、ネスが最後にカポネを倒す手段が脱税という「非暴力」である皮肉を際立たせる。
  • 🔹 帳簿
    カポネを追い詰めるための「合法的な武器」。暴力ではなく数字で巨悪を倒すという、ウォレスのアイデアを具現化。しかし、帳簿を守るためにウォレスが殺されるなど、正義の代償として血が流れる。

📊 評価が分かれやすいポイント

評価が分かれるのは、デ・パルマの様式化された暴力が、観客にカタルシスと倫理的疑問の両方を与えるからだ。駅の階段シーンは『戦艦ポチョムキン』の引用であり、暴力を美学的に昇華する一方で、無垢な命の危険をリアルに描く。史実との乖離(ネスの美化や架空キャラの登場)は引っかかる点だが、それ以上に、ネスが私刑に走る瞬間のカタルシスが、観客に「正義とは何か」を問いかける。ショーン・コネリーの演技とモリコーネの音楽は高評価だが、歴史的正確性を重視する層には受け入れられなかった。

🎬
エンドロール後: エンドロール後は特に無し。映画はカポネの有罪判決とネスの去り際で綺麗に終わる。

🤔 鑑賞後のモヤモヤを解消 (Q&A)

Q. 『アンタッチャブル』はどんな作品?見どころは?

A. 1930年、禁酒法下のシカゴが舞台。財務省特別捜査官エリオット・ネスがギャングのボス、アル・カポネに立ち向かう物語です。ネスを支えるベテラン警官マローン、射撃の名手ストーン、税理士ウォレスたちのチームワークも見どころです。

Q. この映画の制作背景や実話との関係は?

A. 1987年アメリカ公開の作品で、監督はブライアン・デ・パルマ、主演はケビン・コスナー、ロバート・デ・ニーロがカポネ役を演じています。実在の人物や事件を基にしていますが、ドラマチックに脚色されています。

Q. この映画に対する評価や賛否は?

A. カポネの殺し屋によって犠牲者が出るなど、緊迫した展開が描かれます。結末については、ネスたちがカポネを追い詰めるものの、具体的なラストは作品をご覧になってのお楽しみです。

🎬 編集部のズバリ総評

『アンタッチャブル』は、正義の執行が暴力の連鎖を生むことを、駅の階段での乳母車と銃撃戦の場面で鮮烈に描き、法の支配と復讐の境界を問う映画である。勧善懲悪を期待するな。観終わった後、自分ならどうするか、考えずにはいられなくなる。

🎬 次に観るならこのへん

  • 同テーマゴッドファーザー
    禁酒法時代のギャング組織と、正義と悪の境界を描く点で共通。ただし、『ゴッドファーザー』がマフィア側の視点から描くのに対し、『アンタッチャブル』は正義の側から描く。
  • 同テーマダーティハリー
    法の枠を超えた自警主義的な正義の執行を描く点で共通。ただし、『ダーティハリー』が個人の復讐に近いのに対し、『アンタッチャブル』は組織的な戦いとその代償を描く。
  • 同テーマワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ
    禁酒法時代のギャングの栄枯盛衰を描く点で共通。ただし、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』が時間を超えた叙事詩なのに対し、『アンタッチャブル』は一本の対決に絞ったシンプルな構造。
  • 同監督スカーフェイス
    ブライアン・デ・パルマが他のジャンルでどう振る舞うかを観察できる

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最終更新日:2026年04月28日

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